2019年4月24日水曜日

孤独な選択

「これは皆と相談して決めるべき事柄ではない。どこまでも自分自身で判断しなければならない、孤独な選択なのだ。」

伊藤計劃という方の小説にある一文ですが、私にとってのフェルデンクライスの中核を言い表されたように感じました。彼はこの小説を病院で書き上げ、刊行の数か月後に死去しています。

社会で生きることは、周囲への報告・連絡・相談が推奨され、独断で動くことは嫌われます。しかし、いざ自分が生きることに向き合うときは、ただひたすらに自分を知り、自分に聞くことを余儀なくされます。

フェルデンクライスのグループレッスンは、最初に自分自身がどうなっているかひたすら観察するところから始まります。加えて、動きの指示をされてもその通りに動かなくてもいいのです。つまり指示された動きをするかしないかの選択から本人に委ねられています。

他の誰も決められない、自分だけの選択を行うとき、その経験はどんなに小さなことであれ、自ら獲得した揺るぎないものになり、それはその後の経験に応じて柔軟に修正ができるし、必要がなくなれば簡単に手放せます。

私はグループレッスンの間、できるだけ静かに自分と向き合う時間が発生することを願って動きの指示をしています。が、大体いつも言葉が多くなりすぎてしまって反省するのです。

子供とやりあう覚書

自分の子供とやりあっていて思うのは、与えられただけでは目が虚ろになること。
一瞬一瞬で欲求が変わっていってそれに応えるのが追い付かないこと。
正しいことを教えたつもりが、子供が実践しているのを見て全然正しくなかったということ。
逆に、子供が勝手にやっていることが滅茶苦茶ながらも、放っておくと良い形になっていること。
本人が何かを見つけるために共に居ることの難しさ。
ただ子供のために在ろうとすると道を踏み外す。
常に自分自身のために生きている中で子供と一緒に居ること。

あと、子供に色々働きかけてうまくいかなくても気にしないが、うまくいかなかったことは二度としない方がいい。特に説教じみたことは。

2019年4月15日月曜日

機能について考える

すっかりスケジュールの更新を忘れておりました。申し訳ありません。
毎週のグループレッスンも予約制の個人レッスンも平常通り行われております。
6月までのスケジュールを更新しました。

 コンピュータで使われる「機能」という言葉が先行しているせいか、人間の「機能」というものも同じように捉えてしまっている節があったのですが、生物学の適応の視点から見れば人間をはじめとした生物の「機能」は環境に応じて変化していく存在であり、無生物の「機能」は椅子や机のように固定された存在です。

 人間の歩くという機能は、何らかの障害がない限り当然の機能と思われていますが、歩く場所や歩きながら行う作業の要求によって機能の形質は個体ごとに大きく異なります。その人の職業や住環境の選択によって歩行によって達成するべき内容が違うからです。

 私たちが個性と呼んでいるものは、その個体が生存のために選択した作業や場所からフィードバックされる刺激と個体の形状が折り合いをつけた姿と見ることができます。ここで「生存」と呼んでいるものは単に死から遠ざかるための行為だけでなく、個体の持つ欲求や感情が発揮されるアクティブなものも含めて使っております。

 歩くという機能に個性が持ち込まれた結果、生まれて最初に歩き始めた時のシンプルな移動のための動きから徐々に離れていきます。年齢とともにその個体の置かれた環境に最適化された形で飽和状態となった歩行機能に対して、フェルデンクライスは介入します。

 その人の体重を移動させるのに必要最低限な動きにしていくことで歩行機能をその人全体の動きから「分化」します。そして再度その人の生活に溶け込んだ機能として歩行を「統合」します。基本的にただそれだけしか行いません。もちろん、分化する機能は1レッスンのうちに複数存在し、その分化された機能同士で動きを組み合わせたり、組み合わせ方を変えたりするので、実際はもっと複雑ですが。

 分化と統合がもたらすものは機能の単純化による環境適応への柔軟性の回復です。多くの複雑化しすぎた機能は環境の変化についていけず、もしくは安定性を失って破綻します。生活に必要な機能を適切に分化し、今の状況に最低限必要な動きとして統合していけば次の変化に対応する余力が生まれます。

 ゆえに生物の動きから機能という視点で働きかけることには、コンピュータの機能改善とは比べ物にならない大きな価値があるのです。

2018年5月21日月曜日

臨時でお休みを頂きます

先週の火曜日も急にお休みさせていただき、ご迷惑をおかけしておりますが、
明日のATMも相方の出産のため、お休みさせて頂きます。

参加を予定されていた方には誠に申し訳ありません。
来週の29日からは通常通り行いたいと思いますので、宜しくお願い致します。

2018年4月11日水曜日

定期ワークショップ終了とスケジュールを久しぶりに更新

2018年の春のワークショップも無事に終えることができました。
今回は継続して来ていただいている方々に加え、初めて参加された方とも多くのワークさせて頂き、新しい発見も多かったです。
とても和やかで楽しい時間を過ごすことができ、ありがとうございました。

参加者の方のから当サイトのスケジュールが2月で止まっているご指摘を頂きました。
多忙にかまけて更新を忘れていました。申し訳ありません。

5月までの仮の予定を入れましたが、花坂の諸事情により、5月は変更がある可能性がありますので、また正式に決まり次第、当サイトでご連絡させていただきます。


2018年3月14日水曜日

4月7日-8日 定期ワークショップの参加希望を受付中です


講師の湊真里さんは、発達障害と診断された子供たちへ数多くのワークを行い、その経験と自身のアスリートとしての経験を統合し、動きによる心身の発達について深い洞察をお持ちです。

実際に行う動きはおそらくシンプルなものになりますが、運動発達の視点で今回のワークショップを行われる予定です。

前回までと違い、お弁当代(1000円)を参加費に含めております。不要な方は申込時にお申し付けください。

8日につきましては、参加費は同額で、場所が少し南に離れたデイサービス木の実に変わります。

お申込みをお待ちしております。


2018年2月24日土曜日

親になって反省すること

もちろんフェルデンクライスの話でもあるのですが、
2児の親になって反省したことの一つは「正しいことだけ教えていても何の学びにもならない」ということです。フェルデンクライスのレッスンで「事前にお手本を見せない」というルールがあるのですが、先に「正しいものはこれです」とやってしまうと、それ以外をしなくなってしまい、模索する動きの幅が極端に減ります。そうなると次の動きが自力で発見できなくなるので、次のお手本に依存する方向へと突き進んでいきます。

もう一つは「叱ったり、正したりして後味の悪い思いをさせることは問題を隠蔽させるだけで何のメリットもない」ということです。子供は時として常軌を逸した行動をするのですが、それに驚いて叱ってしまうとその行動はしなくなるのですが、なかったことにしてしまい、その行動をした感情の源のようなところとの繋がりが逆に見えにくくなってしまいます。その結果、別の迂回した形で現れたりします。

子供を育てるときに何が良く何が悪いかは本当のところよくわかりません。ただ、観察していてとりあえずこの二つは自立した思考を奪っている可能性が高いと感じたので反省している次第です。